広報なかわだ7月号をアップしました

 先日、一般社団法人「かけはし」の理事長、廣瀬さんの講演会があり参加してきました。廣瀬さんは、14年間小学校の教員をされて、2021年3月に退職され、泉区で不登校の子どもたちの居場所づくりを行っています。そのキッカケとなったのが、一人の小学4年生の男の子との出会いであったそうです。
 神さまは、私たちのそばにいて守ってくれています。私たちもいろいろな形で神様との出会いがあるはずですが、なかなか気づかず日々過ごしていますが信仰生活の中で神との出会いは私たちにとって大きな喜びです。
その喜びを要理学校の子どもたちにも体験してもらいたいと思っております。8月1日~3日で第五地区の子どもたちのサマーキャンプがあり、いろいろな体験をする中で神様との出会いができるように、お祈りください。(井上 昭男)

 教区本部事務局長、谷脇神父様から6月20日(木)午後、日野神父様退院との通知がありました。当日は谷脇神父様に退院手続きをしていただいて中和田教会までお連れいただきます。4月6日脳梗塞で入院なさってから約2か月半で退院なさることになります。リハビリを頑張られたおかげで、補助なしで歩かれますし右手でお食事もお出来になります。とはいえ要介護1を受けておられるので介護サービスなど社会的支援等を最大限に利用して安全でより良い環境で生活していただきたいと思います。
 以下、神父様の当面の生活を介護サービス中心に箇条書きにしました。
介護サービス等で補いきれない部分は我々信徒が担う必要がありますので、是非とも皆様のご協力をお願い致します。

1.デイケアサービス→月、水、金:9:30~16:30
  ツクイ横浜中田(リハビリ、昼食、入浴あり) 対応要検討
2. ヘルパー →火、土(掃除、洗濯)
3. 食事宅配サービス 昼食(週4日火、木、土、日)夕食(週7日)
  *夕食宅配は3時ごろの予定。対応要検討 
4. 朝食の買い物
5. 主日ミサ時、聖堂への動線はスロープを使っていただく
    司祭館と聖堂との移動は必ず付き添いをする。
    神父様のご希望で歩くが基本ですが、雨で滑りやすい日は車いすを使用して対応。
  *階段へのドアは常に聖堂側から閉めておくようご注意願います。
  *司祭館前の砂利は舗装する(見積もり中) 
6.毎日の留守番(郵便、宅急便、回覧板のチェック、来客、電話の対応等)
  神父様に声かけするなど服薬確認も含めお願いします。
7.神父様病院の通院
  *西横浜総合病院には送迎サービスもある。

 以上、上にあげた点でご協力いただける方は声を上げてくださるようお願いいたします。他には定期的でなくとも教会に寄れる時は神父様にお声がけをいただくことや、散歩に誘っていただくことなど、ご協力いただくことはあると思いますので、提案していただければ幸いです。皆様のご協力を切にお願い致します。(今井暁子 6/12)

 戸塚教会・福祉部からお誘いを頂き、主人と一緒にカリタス南相馬を訪問してまいりました。行ったきっかけはあまり深い気持ちではありませんでしたが、今回この機会を与えてくださったことに感謝しています。
 カリタス南相馬は福島第一原発から遠くない場所にあり、福島県に拠点を移して活動しておられる幸田和生司教様に直々ご案内頂き周辺の状況をつぶさに見学することができました。
 感想を一言でいうと、多くの報道で知っていたつもりが、あまりにも何も解っていなかったと言うことです。現地の方々のご苦労を垣間見る事によって改めて感じることが少なからずあり、都会に住んでいる私たちの生活が今も汚染問題で苦しんでいる方たちの犠牲の上に成り立っていることを改めて実感しました。訪問先のなかの3か所を以下に紹介します。

1.相馬市伝承鎮魂祈念館
 一瞬にして津波で落命された458名の方々の鎮魂祈念館ですが、亡くなった方々、そして残された人たちの悲しみと想いに寄り添う決意を強く感じさせる祈念館でした。

458体の地蔵(祈念館展示物)

2.中浜小学校 震災遺構館 (注: 宮城県山元町の小学校;2013年廃校)
 この小学校も津波に見舞われましたが、校舎は事前に津波や高潮への対策が施されており、屋上に避難することで子供達全員と先生、地元の人達90名の命を守り抜いた建物です。備蓄されていた防災用毛布も防寒に活用できるなど災害に対する備えが十分でした。いかに普段からの備えと地域、近隣同士の繋がりが大切か改めて考えさせられました。

震災遺構館
遺構館内部(一部)

3.東日本大震災・原子力災害伝承館
福島第一原発に隣接するこの建物自体は立派ですが、その周囲に拡がる”中間貯蔵”施設には1,376万㎥(2023年末時点、環境省)にも及ぶ汚染土が搬入されています。この汚染土の処分は2045年(21年後)までに福島県外で終えるということが法律で定められましたが、いまだに行き先すら決まっていないという深刻な状況なのです。

悲惨な病院避難を伝える展示

 今年は2011年東日本震災から13年になります。報道されていますが2022年7月に震度7の地震があり、今なお多く人達は移住制限区域の解除された中で恐れを常に心に持つ日常のようです。私たちは、”同情”みたいな気持ちではなく、現地で今なお苦しんでいる人たちと同じ目線で悩みながら共に考え祈っていくことの大切さを痛感した旅でした。
 皆さまもぜひ現地を訪問されて実際に体感されることをお勧めします。(小野 和江)