広報なかわだ8月号をアップしました

 二年前になりますが、日野神父様にお願いして聖書の勉強会を開いて頂くことになり、第1回目が2022年11月30日に開催されました。以来お忙しい中、長期にわたり継続して下さり、今年の3月第35回が開かれました。当初新約聖書の勉強かと思っておりましたが、旧約聖書1500頁を全部読んでみようという大きな目標が立てられ、その中心部分であるモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の主要部分を読むことができました。

 日野神父様は御自身のご造詣とご経験から、私共だけではとても読み取れない深いところまで多くの解説と補足、イタリア、イスラエルでのご経験なども織り込みご説明下さり、皆さん楽しく参加することができました。旧約聖書はあまり通読の機会もなかったのですが、今回ユダヤの民の苦しみと神への信頼の心を偲ぶことができ、毎週の御ミサでの第一朗読の内容がその背景情報も含め身近なものに感じられるようになったのは大きな収穫でした。また旧約聖書がユダヤ教、キリスト教はもちろん、イスラム教の聖典でもあることを知り、目から鱗の感がありました。「目には目を、歯には歯を」がイスラム教固有の教えではなく、旧約聖書に記載されていることを今更ながら知り、これまでの無知を恥じた次第です。また旧約は新約の基盤だとよく言われますが、その意味を実感できたのは大変良かったと思います。

 日野神父様のご入院とご退院後のリハビリで現在この会も中断しておりますが、これまでの御指導に御礼申し上げますとともに、近いうちに聖書の勉強会が再開されますことを心待ちにしつつ、神父様の一刻も早い御快復を心よりお祈り申し上げます。(岩渕 英介)

 7月21日(日)の主日ミサ後に日野神父様の退院をお祝いするセレモニーがありました。
 皆様大勢の拍手の中、日野神父様が入場され、小野副委員長からのお祝いの言葉、花束贈呈、日野神父様の感謝の言葉と続きました。自立を目指して頑張っておられる神父様にエールの拍手を送りました。

 午前中は、2グループに分かれてレクティオ・ディヴィナの流れに従って、み言葉を読み味わい印象に残った句や行を聴きあい、沈黙をはさんでお祈りしました。(ヨハネ 10:11~18)です。
 午後はテーマに沿って、2グループに分かれて霊における対話をしました。

(植栗神父様より)
・復活祭の時に入信した人と親しくなり、その人に寄り添い、帰属感を持てるようにする。信仰はだんだん作っていく。共に祈る。共にやっていく。理解されたという気持ちなど色々ある。
・入信者に教えてあげる気持ちより、仲間になり、支え合っていくことが大事である。
(メンバーより)
・一般の人向けのオープンデーはあるが、チラシを拒否されることもある。新しくなったマリア像にお祈りをしている姿も見られる。入信者に対する代父母さんの寄り添いがもっとほしい。
・教会で一般の方に向けたカフェを週1回開いているが、来た方の中から入信者があった。
・初めて興味を持って教会に入った人の半分ぐらいは入信する気持ちが少しはあるのではないか。その気持ちを育てるのも削ぐのもこちらの対応次第かもしれない。
・自分がキリスト教的な生き方をしていて、そのことを他の人が気が付いてくれると良いと思う。現状で満足せず、思い切って行動する人が望まれる。
(まとめとして)
 今日のテーマに対する解答は形としてまとめるには時間が
足りませんが、この場で声を聴きあったことが、次回のきっかけに
つながり、原宿、戸塚、中和田教会の連帯となるプロセスを味わえたことは大きな成果であった。(武田幸子)

 7月13日土曜日にカトリック藤沢教会センターホールにおいて約40名弱の参加者が集い、「第五地区ならびに近隣教会福祉交流会」が行われました。
まずは、我々中和田教会にもいらっしゃってミサを捧げてくださっている、カトリック戸塚教会、主任司祭の田丸篤神父様よりご挨拶と「あなたはイエス・キリストに繋がっていますか?」というタイトルで講話をいただきました。そのお話の中で、高齢化、あるいは教会に来られなくなっている人について触れられていました。教会に行き、ミサにあずかっている間はイエス様と繋がっていると感じられる。教会に来られなくなっても教会から送られてくる広報紙を受け取り、イエス様とのつながりを感じていただくこともできているであろう。
私たちは普段の生活の中で「イエス様!とどれだけ繋がりを意識しながら生活できていますか?」そのような問いかけがありました。

 そして田丸神父様のお話を受けて、参加者は5~6人のグループに分かれて分かち合い(グループディスカッション)を、途中メンバーを変えて2回行いました。私が入った1回目のグループでは、自己紹介をしながら各々が所属している教会のことも紹介しましょうということで話を始めましたが、皆さん伝えたいこと、尋ねたいことがたくさんあり沈黙する間など全くなく、活発に話し合いが進んでいきました。2回目のグループでは前のグループで一緒だったメンバーが3人もそろってしまいましたが、さらに異なる切り口での話ができました。どのグループでも共通して出てきた話題は「教会に来られない(来ない)人について」でした。教会に来られない人に広報紙を送ることはどの教会も取り組んでいましたが、発送の際、手書きのメッセージを添える。あるいは文字を読むのがお体的に困難な人には教会の四季を伝えられる写真を送るという工夫をしている教会もありました。お便りを受け取った方はきっと教会と、イエス様と繋がっていると感じていただけているものだと思います。しかし、どの教会も高齢化と信徒の減少は避けられないでしょう。今後、各教会の良い取り組みが継続できるように工夫していかなくてはならず、繋がりをどのようにして維持・継続していくのかはこれからの課題になるのではないかと思いました。

 一方で、先の田丸神父様のお話の中で、「ミサに来てニコニコしている人がいない」というお話がありました。「教会に所属しているけれど、イエス様に所属できていない。まじめに教会に通っているけれど、なんとなくミサにあずかり、なんとなく帰るというようになっている人がいるのではないか」ということでした。これは、イエス様と繋がっていると言えるのかどうか?という疑問を投げかけられているようにも感じられました。もちろん、繋がっているかどうか、それは外から見ただけでは分かりません。それに教会に行けばそこで「元気?」「最近どうしている?」「色々大変だよね」と笑顔で会話をしている場面も見られます。いずれにせよ大切なのは、どのような手段であれ人と交わり互いに励まし合い、教会の信徒との繋がりを感じることと同時に、救いや安心、そしてイエス様と繋がっていることも感じながら生活していくことが私たちには求められているのではないかと改めて考えさせられた有意義な交流会でした。(森田 和美)