広報なかわだ12月号をアップしました

田丸 篤 神父

 待降節と聞くと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。紫の祭服、待降節のために用意された4本のろうそく。そしてクリスマスを迎えるための様々な準備。その待降節には二つの意味があります。その一つは2千年前のイエス様の降誕を記念する降誕祭を準備すること。そしてもう一つはこの世の完成の時のキリストの再臨に心を合わせて心を整えていくという意味です。私たちにとっていつの日かはわからないこの世の完成の日。その日がいつであっても天を仰いで、そこから来られる主の到来を待ち望むことです。私たちが待ち望むのは、私たちとイエス様との真の出会いです。私たちの中にはどうしてこの世界は未だに闇の部分が消えてなくならないのだろう、どうして多くの苦しみがあり、それを耐え忍ぶことが求められるのだろう、そのような思いを持っている人がおられます。死を越えた永遠の命への希望があるって具体的にはどういうことなのだろう。そこに向かって歩む中で味わう苦しみの意味と、その歩みをイエス様も共に歩んでくださっているって実際にはどういうことなのだろう。自分の手に取るように、神様の存在とイエス様の姿を実感したい。そのような思いが誰の心にも起こります。

 どうしたら、私たちがもっと神様の心、呼びかけ、うながしを感じ取ることができるでしょうか。
それはきっと私たちが受け身では与えられないのだと思います。自分の方から動いて、近づいて、心を向けて初めてわかるものなのだと思います。主の降誕の場面でも、羊飼いたちは天使の呼びかけに応えてイエス様が誕生された場所を訪ねて行きました。東方の3人の博士たちも、遠い東の国から光輝く星を手掛かりに長い旅を続けてその場所を探しあてました。

 じっと待って何もしない生き方から自分も一歩、自分の枠から抜け出て進み出してみる。その歩みの中に、きっと神様が共にいてくださることを感じ取る鍵が隠されています。どんなに現実が正義から離れ、苦難に満ちていても、神様は必ずその中で働き続け、御自分に心を向けることを待ち続けておられます。この待降節の間、神様が共にいてくださることを黙想し、そのいつくしみに包まれ、自分も神様の呼びかけに応えて歩むことを祈り願いたいです。

教会委員長 今井 暁子

 日野神父様は前の病院を退院後、脳梗塞後遺症のため司祭館でリハビリに励み、療養生活を送っておられました。先日ミサの中でお知らせした通り、11月10日バザー終了後の夕方、司祭館で転んで大腿骨を骨折され戸塚共立いずみ野病院に緊急搬送、手術、入院生活を送っておられましたが、このほど12月10日神山復生病院に転院されることが決まりました。当日朝9時に介護タクシーにて教区本部事務局の神父様方に同行され出発なさいます。
 日野神父様には2014年中和田教会に赴任されてから約10年間、90歳までお元気に園芸を楽しまれながら司牧していただきました。心よりお礼を申し上げます。
神山復生病院ではゆっくりご静養なさいますようお祈り申し上げます。また神父様が入院される折々、入院中、司祭館での療養期間中お世話になった方々には格別の感謝を申しあげます。ありがとうございました。

 11月10日(日)のミサ後に秋のバザーが開催されました。お天気も良く秋晴れの心地よい日和に恵まれ、教会内外のお客さんが途切れることなく訪れていました。日野神父様も園芸の植物の販売に参加され食堂で皆さんと触れ合っておられました。
 バザーの後に「日野神父様の91歳のお誕生日祝い」のケーキを皆でいただきました。

日野神父様 91歳のお誕生日おめでとうございます!