広報なかわだ6月号(第500号記念号)

以下は、WEB簡略版を表示しています(詳細な月間予定表や図表ならびに議事録詳細などは含まれていません)。完全版(pdf)はこのページ下からアクセスできます。

広報500号 記念!! 中和田カトリック教会

フランシスコ・ザベリオ 日野武満神父

 故小林陽一神父様の時代に400号記念誌が発行されたことが知らされました。教会の土台を築いた故木村義男神父様から数え2014年私が着任するまで5人の神父様達が中和田教会に携わりました。まだパソコンのない時代、係の人は手刷りガリ版で発行していたとの事です。
 原稿用紙、ガリ版原稿紙(ガリ版文字)に移し書き、と大変に手のかかる時代の係の方に敬意と感謝を申し上げます。
 この春に教会が再建され、明るく広々とした教会で、これからも絶え間なく教会広報が継続されていくことを祈ります。

広報なかわだ第1号(1976年5月16日)

祝 「広報なかわだ」500号 記念特集

「広報なかわだ」500号を祝して

小野寺 功

 最近聞くところによると、当教会の唯一の情報誌「広報なかわだ」は、本誌で500号を数えるとの事です。本当におめでとうございます。
 成長する樹木の年輪のように、毎月発行されてきた「広報なかわだ」には、典礼、行事予定その他、すべて必要な情報が掲載されています。それで仕事がとくに忙しい時期は、教会生活を支える指針として、本当に助けられてきました。改めて編集者の方々のご苦労に感謝したいと思います。
 今遠く振り返ってみて、初期の頃と比較してみると、編集の面や広報活動の報告にも、年々工夫が加えられていて「委員会だより」など、とても簡にして要を得ており各分野ごとの情報が一層わかり易くなりました。また、以前に較べてみると、写真やカットも新鮮、豊富で、魅力が増してきています。
 さらに、かつて私も「中和田の風」に投稿したことがありますが、なぜか気楽に書き易く、風に促され読み易い気がしました。また、インタビューという手法は、書くよりも気楽に本音を語れる長所があり、本誌の一つの魅力となっていると思います。
 それに加えて、かつて私は当教会の今井暁子さんの「信仰の旅~永遠の命との出会い~」を読み、深く感動した覚えがあります。今後はこうした本の書評など加えてほしいと願っています。
 最後に「広報なかわだ」編集の屋台骨として、今日まで一貫して支えてこられた武田幸子さんのご苦労に対して心から御礼を申し述べたいと思います。

「祝 500号!」

小野 雅彦

 広報グループの皆さまのご努力により、第500号発行を達成されたことを心よりお慶び申し上げます。良い機会と思って創刊以来の過去の紙面を改めて拝見してみましたが、中和田共同体が歩んできた長い道のりが(行間を含めて)深く刻み込まれており、先達の皆さまのご苦労も強く偲ぶことが出来ました。
 例えば、私たちは近隣教会の方から時おり「中和田は、“家庭的”な雰囲気の教会ですね。」というようなお言葉を聞くことがあります。なかに居る私たちは日常的にそのように感じることはあまりないかもしれませんが、私たちがとくに意識しないうちに培われてきた何か独特の“文化”的なものがその歴史とともに「広報なかわだ」に詰まっているようにも感じました。
また、広報紙としての性格上、どうしても大きな“イベント”が紙面を賑わすことが多くなりますが、その中にあっても、信徒の皆さまの「思い」、「考え」、「感じたこと」などを率直に分かち合う工夫が盛り込まれ、それがいろいろな場面を通して洗練された形になってきたことは、信仰共同体の広報紙として養われた大きなお恵みだと思います。
 今後とも、信徒全員で、「地域に密着した開かれた教会」の機関誌として、「広報なかわだ」を盛り上げていければと念じています。
 中和田教会のホームページからは、1976年5月に発行された第1号以降のほとんど全ての広報紙面を(ガリ版刷を含めて)閲覧することが出来ます。ぜひ皆さまにご覧頂き、中和田の歴史を味わってみて頂ければ幸いです。

「思 い 出」

石井 三雄

 中和田会報 500 号記念お祝い申し上げます
 ”中和田教会だより”は発刊されてからおよそ 40 年になりますがこれまでの信仰生活の中で思い出に残る事柄を思い返してみました。
山崎神父様が中和田教会に赴任されておよそ半年が経過したころと記憶していますが神父様から散髪の依頼を受けました。その経緯は自分が以前アルジェリアの砂漠でプラントの建設工事に約2年間従事していた時の思い出話の会話の中での時でした。
 イスラム教のこの国では金曜日が休日となっていましたが、その時の息抜きといえばサソリ狩か “砂漠のバラ”を探しに行く事でした。車で 1 時間ほどのところです。サソリは岩の下に隠れていることが多くそれを見つけると割りばしでつまんで刺されないように気を付けながらガラス瓶に入れるという結構緊張する作業です。 また“砂漠のバラ”とは別名ローズドサブレと呼ばれ砂の結晶で出来ていて、昔からヨーロッパでは大変貴重品となっていました。今では国外に持ち出し禁止となっていますが当時は持ち出し自由でした。そのほかは髪の毛が伸びたときに自分自身で散髪をしていたこと等で、これらの会話の中で生じた話題について特に散髪の件に興味を持たれたようでした。
 神父様は床屋に行って時間を費やしてまでも整髪をすることには余り関心がないようでした。 時間もそうですがその代金を教会維持のほうに回されていました。

山崎正俊神父様

 当時の「なき部屋」、今の小聖堂ですが、ここの床に新聞紙を広げ、寒いときは石油ストーブを横に置き、暑いときにはドアを開け放して行いました。
 神父様が体調を崩される半年前ごろだったと記憶していますが散髪をしているときに「もう 20 年になりますね」ポツリと言われましたが、その時初めて毎月「なき部屋」にきて行なう散髪がすでに自分の生活に一部になっている事に気付かされました。それは散髪のついでに曜日と時間によっては大相撲とか野球のナイター中継を見ながら時間を過した時も、また家内が同行した時はお茶を飲みながら話が弾み楽しい時間を過ごした事が蘇ってきました。
 このほかにも「なかわだ会報」の編集とか「新集会室棟」建設等にも携わってきましたが、この散髪のボランティアだけがいまだに強く心に残っています。
 今の自分は自身での散髪はとうに止めて専ら 10 分で済む QB店の世話になっています。
 神父様から頂いた髪のカット用と梳(す)き用の鋏”周作”は神父様の妹さんが選んで呉れたとのことでした。これと散髪時に用いたカバーはいまでも大事に保管していて懐かしい思い出として残っています。

「中和田広報誌 作成の思い出」

岩渕 英介

 広報作成にタッチできたのは私にとって非常に有意義な経験であり、また良い思い出となっております。あまり教会のことをよく分からずなんとなく過ごしてきた私にとり、新しい見聞も多く勉強になりました。まだ現役バリバリで仕事が非常に忙しい時期でしたので、いつも締め切りに追いまくられ、発行日の前日は夜中の10時頃どこかのコンビニで状態の良いコピー機を見つけては必死に両面コピーをしていたのを思い出します。
 石井さんから広報を引き継いで190号(1994年3月号)から始めて363号(2010年1月号)まで担当し、364号から小野さんに引き継いで頂きました。この間パソコン関係の技術進歩の恩恵で作成も楽になり、私にとって良い勉強にもなりました。イラストや写真も簡単に挿入できるようになり、当初コンビニで苦労していた印刷も、A3対応のレーザプリンターのおかげで、自宅で簡単にしかもカラー印刷もできるようになりました。(その後カラー化は費用面で中止されましたが)
 教会の広報誌も当初はガリ版刷り第1号(1976年5月、福島さんがタッチされています)からスタートし、七浦さん、宮崎さんの御担当、第47号から手書きコピー版となり、86年石井さんの時からワープロによる活字スタイルに変更されました。その後ワープロ出力の切り貼り方式から全誌面一括パソコン作成に切り替わり、A3両面印刷のスタイルが続いています。
 歴代広報委員さん達の御努力で単に技術面のみならず内容面で色々な試みがなされ、ついに500号を迎えることとなりました。御尽力に御礼申し上げます。これからも皆様のための広報誌としてますます発展していきますよう念願しております。

広報なかわだ「中和田の風」に関わって

今井 暁子

 2011年4月23日復活徹夜祭にて受洗、2012年に広報委員として任命されました。その頃設けられていた“中和田の声”欄に対してあまり積極的な投稿がなく、何か良い案はないかとのことでしたので、受洗のきっかけや信仰に対する思いなどをお聞きするインタビュー記事を提案して「中和田の風」がスタートしました。
 先日振り返ってみたところ「中和田の風」はインタビュー、投稿文を合わせて60数名の方々に登場していただきました。改めてインタビューをお受けくださった方々、投稿してくださった方々に心よりお礼を申し上げます。皆様の心の深みにある信仰への溢れる思いを分かち合い、証してくださったことこそ中和田教会共同体の宝であると確信しております。
 これを機にまだ読んでいないお子さんやお孫さんなど次世代の方々に読むことをお勧めいただき教会共同体の賜物として伝えられていったらと切に思います。「中和田の風」はホームページの広報アーカイブでご覧になれます。まだ当欄に登場していただいていない方にはインタビューや投稿をお願いすることもあると思いますので、その節はご協力のほどお願い致します。
 最後になりましたが、手刷りの広報を立ち上げてくださった方々、PDF編集で美しいカラー版の広報を作成してくださった歴代の広報委員の方々、ここ数年は企画と編集を一手に引き受け、読みやすい広報誌を編集してくださっている武田幸子さんに心から感謝申し上げます。今後ますます【広報なかわだ】が皆様に愛され読まれますよう、新しい広報メンバーの方々が新しい風を入れてくださることを期待しています。

<シノドス(世界代表司教会議)へのアンケートの回答のまとめ>

 シノドスのテーマ「ともに歩む教会のためー交わり、参加、そして宣教」について横浜教区からアンケートがあり中和田教会としての回答を検討した結果、次のようにまとめました。

*小教区(中和田教会)の振り返り分かち合い
★子供の数が減った。以前は司祭やリーダーたちの存在が大きく子ども達が教会に来ることを楽しんでいた。家庭集会が横のつながりを強め助け合いがあった。家庭的な雰囲気を外部にも伝えたい。
★問題点として、以前の婦人会、壮年会といった横の繋がりがなくなり、グループごとの活動に専念するあまり縦割り傾向が強くなっている。次世代への引継ぎができていない。世代間ギャップを感じる。教会に来られなくても地域社会で奉仕していることに意義がある。
*質問への回答
1.交わりの諸次元はどの程度深まってきたか?
1)①外国信徒との交わり
 ➝建物を大規模修繕するにあたり、またコロナ禍とも重なって外国籍(ベトナム)の方は減少傾向にあった。しかし二世の方が典礼の奉仕、朗読、侍者に関わって下さっている。
  ②エキュメニズムとの関り
 ➝泉区にある教会が協力しあって区民クリスマスが盛んに行われていた。昨年はZOOM配信された。
2)a)共同宣教司牧について
  関わったことがある信徒からは、小教区以外の司祭、信徒の方々との出会いが信仰を深める良い機会になったという声が聞かれた。戸塚教会との協力体制、藤沢教会での堅信式に至った。
  b)三部門については全く知らない信徒、聞いたことがあるくらいの声が多かった。
2.交わりとしての教会をめざして、今後何が求められるか。
  共同体として共同宣教司牧の意義、目的が理解されていないので積極的に知らせていく必要がある。3部門の集まりが小教区で共有される必要がある。
3.その他、中和田のこれから
  新しい試みに、たとえ空振りであっても積極果敢に取り組む。一つの方向に固執しないで、状況に応じて変化を恐れずに進化していく。

4年前の コンサート演奏者の方々からの お祝いメッセージです

中和田教会の皆様
 この度は中和田教会のご再建、おめでとうございます。
 心よりお祝い申し上げます。お手紙とリーフレットを頂戴致しまして、どうもありがとうございます。美しい聖堂に廻りのスペースも広々として、素晴らしい教会ですね。
 完成までのご苦労やそれを乗り越えられたことなどをリーフレットで拝読し胸を打たれました。
 4年前に演奏させて頂いた折には大変お世話になりまして、本当にありがとうございました。
聖堂という特別な場での演奏は私たちにも忘れられない思い出となっております。
 これからも中和田教会が信徒の方々や地域の方々の大切なかけがえのない拠りどころの教会として、愛され続けることを願ってやみません。

「かまくら姉妹」より

「広報なかわだ」の完全版(pdf)は下からダウンロードできます。