広報なかわだ4月号をアップしました

以下はテキスト版を表示しています(写真や図表ならびに議事録詳細などは含まれていません)。完全版(pdf)はこのページ下からアクセスできます。

イエス・キリストの復活をお祝いします

 ANNO DOMINI(A.D 2021年)3月28日受難の主日(枝の主日)から聖週間に入ります。
 世界を揺るがしている新型コロナ・ウイルスの感染によって教会の主日ミサも三地区制をとり、一年になります。中和田教会は再建のために施工会社により、見積もり、地面調査が行われ、工事開始まで進みましたが、諸事情により工事は5月頃まで延期になっています。
 教会委員会、典礼委員会の皆さんもコロナによる異常事態を切り抜けるために一生懸命努力しています。イエス様のエルサレム神殿入場、受難、十字架の処刑、死、復活を信じる私たちは2021年の復活祭(4月4日)を心からの祈りをもって迎えましょう。

フランシスコ・ザベリオ 日野 武満 神父

事 務 所 受 付 の お 願 い

 現在中和田NEXTの会において、中和田教会がリニューアルされたのち、新しくされた教会でどんな活動をしていくのかが盛んに話し合われています。広報の武田さんがアンケートを取ってくださった結果によると、祈りの会、短歌の会、運動サークル、囲碁・将棋の会、料理教室、子供の会、地域に開くカフェなど広範囲に及ぶ活動の数々が候補に上がっています。
 そこで、これらの活動を円滑に行うためにも事務室の受付が必要ではないかとの意見がでました。数名にお任せして固定してしまうとその方たちの負担も大きくなってしまうので、なるべく大勢の方に参加していただく方法を取るのがよいと意見がまとまりました。ひと月ごとのカレンダーを貼り出し、どなたでも可能な日の可能な時間帯(午前、午後)に名前を記入し、必要に応じて来教者に応対、案内をしていただくという方法です。

~~思いがけない お客様~~

 早速この方法で2月15日から先行して始めています。初日2月15日月曜日は激しい雨が降っており、どなたも来られないだろうと思いましたが、まずはカレンダーに名前を記入して試しに午前中座っていようと思いたって行ってみました。お昼近く11時半ごろ、事務室のドアを叩く音が聞こえたので開けると中学生らしき少年がお祈りさせてほしいと、土砂降りの中お祈りに来るにはよほどの事情があるのかもしれないと訊ねてみると、今日は高校受験だからお祈りしたいとのことでした。しばらくお祈りした後、またドアを叩き丁寧に「お世話になりました」と挨拶して帰っていきました。私は思わず「気を付けて、お祈りしてるね、また来てね」と見送り、しばしその少年のためにお祈りしました。祈りの場としての教会が若者にも必要とされていることを感じられた嬉しい出来事でした。
 ミサの共同祈願の中で中和田教会再建のため「この近隣の愛の共同体として多くの人があなたと親しくなる場となりますように」とあるように、初めて訪れた方に教会に誰かが居て対応するということは必要最低限のことではないかと思いを新たにしました。
 工事期間中は安全面の点から受け付けはお休みとしますが、新たな教会の活動をスムーズに立ち上げるためにも、このような取り組みを始めることをお知らせして、新しい教会を私たち一人ひとりがそれぞれの力を発揮してみんなで支えることができればと思います。また冒頭にあげた数々の活動にもアイデアを出し合い積極的に一員として参加していただき、是非みんなで新しい中和田教会を盛り上げていっていただきたいと思っています。

 献金袋の棚の横にカレンダーを用意しました。義務的ではありませんので、買い物のついでとか用事の前後に来れそうな方はお名前を記入してください。(月に一度だけでも良いのです。)

(中和田NEXTの会)

~ 中和田の風 ~
「神様は呼んでいる」  いつからでも再出発

看護学校時代に受洗されて以来、教会から遠のいていたにも関わらず、六十年あまり経ってから教会に通われるようになった第三地区にお住まいの川端静江さん(86歳)にお話しを伺いました。

→受洗のきっかけをお聞かせください。
高校は京都丹後にある聖ヨゼフ学園でした。手に職をつけて早く自立したいと思っていたところ横須賀にある聖ヨゼフ看護専修学校の募集があったので寮もあり授業料も払わなくてよいとのことで2年間勉強しました。勉強は自分に合っていて面白かったです。高校の時から要理の勉強はしていたので、卒業前にシスターから勧められ極自然に受洗しました。
→その後教会に行かれなくなっていたのは?
就職は鶴見にある三池病院でした。近くに教会がなかったこともありますし、良い同僚に恵まれ仕事にやりがいを感じながら忙しい毎日をすごしていて教会のことは忘れていました。その頃肋膜炎で入院してきた主人と出会い、退院しても次に結核で長期入院になりました。田舎は釜石、下宿も引き払っていたので帰る家がない夫が退院するとき、結婚して一緒に住むようになりました。夫は造船所で船の設計技師をしていたのですが、夜間大学に通いながらの激務で体を壊してしまったので、結婚後は独立して設計事務所を持ちました。ところが営業があまり得意ではなく、顧客に何度も騙され体調も思わしくなく、設計技師をやめて家で文房具店を開くことにしました。子育てのため看護婦の仕事を止めていましたが、文房具店だけでは生計が成り立たないので看護婦の仕事を再開しました。
 夫の生家は天理教だったので熱心に信仰していました。私も何度も義母に勧められましたが、私は自分の信仰があると断っていました。夫が何か月も祈願のため総本山のある奈良に行っていたときは教会に行きたいと思いましたが、近くにある教会の場所がわからず仕事と子育てに明け暮れていました。
→85歳にもなってから新しい教会に飛び込むことは勇気がいることだったと思いますが、
 夫は一昨年吐血、下血して倒れ、救急車で運ばれ胃がんと診断されました。その後退院していましたが、去年二度目の入院、一か月で7月22日帰らぬ人となりました。私も退職してからは近所に住む孫たちの世話、晩年の夫の介護で全く地域に目を向けていませんでしたし、夫帰天後コロナ禍もあり家に閉じこもっていたのですが、次第に教会に行きたいという強い思いが沸いてきて、ようやく中和田教会と繋がることができました。去年12月には「ゆるしの秘跡」を受け、長年の思いを日野神父様に聴いていただくことができ心から安らぎを覚えました。今はミサの与り方も変わっていて分からなく戸惑うことも多いですが、どうぞよろしくお願い致します。

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