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聖母被昇天祭と平和の祭典オリンピック
1964年に日本で行われたオリンピックの時、まだ私は練馬の神学校二年生でした。校則により外出は出来ない時代でした。
ミサが終わり朝食が終わると、急いで休憩室へ駈け込んで新聞を見ます。スペイン、ドイツ人の神父様達の国の選手達がどうなったか気になりました。あれから50数年の歳月が流れ2020年の日本での開催がコロナ・ウイルスの蔓延で2021年に延期されました。
平和の祭典オリンピックは8月15日(日)後もパラリンピックが続きます。今年も聖母被昇天祭と第二次大戦終結の日は重なり、世界平和の意向が3つも重なります。世界の国々に平和がありますように祈りましょう。
フランシスコ・ザベリオ 日野 武満 神父
~ 中 和 田 の 風 ~
お母さまに続いてお父様が亡くなられた武石真由美さんが、コロナ禍でのお父様の入院と亡くなられるまでの様子を投稿してくださいました。
コ ロ ナ 禍 で 天 に 召 さ れ た 父
私の両親は母が信者なので教会で結婚式を挙げています。幼い頃日曜日に教会に出掛ける母と私と弟の3人に「気を付けてね!」と送り出すだけの父でした。子どもに厳しい昭和の頑固親父です。令和元年5月に母が亡くなり父は自分で選んだ老人ホームに入所しました。個室で毎日自由行動夕食時晩酌が許されるお気に入りの「第2の住処」でした。私は月に2回程訪問して衣類や日用品の補充、父の大好きなお菓子の差入れをし、他愛もない家族の話をして父と関わって来ました。ところが令和2年4月に初めて「コロナの緊急事態宣言」が出て老人ホームは家族も入室禁止となり、玄関で差入れを渡すだけの生活になってしまいました。会って話せないと体調も様子も今欲しい物もわからずとてももどかしい思いをしました。玄関のガラス越しに対面出来た事もありますが、お互いに何を言っているのかわからず会話が成立ない事は本当に悲しかったです。
それから数ヶ月後、父は誤嚥性肺炎で入退院を繰り返すようになりました。病院での生活が多くなりましたが、コロナ禍で病院は全面的に面会禁止。着替えを運ぶのみで顔も見せてもらえず全く様子がわからないので不安で寂しいものでした。それでも11月に退院してホームに帰る事が決まりました。そこで介護タクシーがホームの駐車場に到着するのを待ち伏せして、やっと久しぶりに父に会う事が出来ました。父は一段とやつれたおじいちゃんになっていましたが、4人目として生まれたひ孫に初対面し「こんなに大きくなったのか!」「コロナで危ないから早く帰んな!」「ありがとう!」とはっきりと話していました。私と嫁は「ボケてなかったね!」と一安心。
感動的な再会から2日後再び肺炎の高熱で倒れて意識不明のまま入院。昏睡状態で家族が病院に行っても状態を聞くだけの生活が三週間続きました。ある日病院から連絡があり「お別れの時が近づいて来たので、ご家族の方1人ずつお顔を見に来て良いです。」と言われました。「最後のお別れなの…」ショックと言うより大事な事を思い出しました。父は元気な時に「死ぬ前に洗礼を受ける!」「お葬式は母と同じように神父様に頼む!」と言っていたのです。早速病院に「司祭を呼んで洗礼式を行いたい」と聞いてみましたが、コロナ事情で家族以外の方は入室出来ませんとの事。父の死が近い事や洗礼を受けたい旨は神父様にも小野委員長にも相談していました。しかしまさか「私が洗礼を…」と戸惑いましたが家族で話し合い、神様のお力添えを頂きながら私が父に洗礼を授ける事になりました。父は倒れてから1回も意識を回復することなく令和2年12月に91歳で天に召されました。
告別式は神父様が快く引き受けて下さり、斎場で父の望んだ(母と同じ)葬儀を挙げる事が出来ました。しかし親戚も父の友人も皆さん高齢の為誰もお呼びする事が出来ず家族だけの葬儀となりました。コロナ禍って本当に非情で寂しい限りです。もっと触れ合い話し合って色々な事をしてあげたかったと今でも悲しい気持ちになります。
4月には無事に納骨を済ませる事が出来ました。墓石に母の名前の隣に父の名前と霊名を刻めた事は、自分の使命を果たせて本当に良かったと思いました。父も母も喜んでくれているかしら…。
父の葬儀に際しましてお世話になりました日野神父様、中和田教会の皆々様、本当にありがとうございました。(武石 真由美)
第5地区・第6地区12教会の福祉交流会のご報告 (於:藤沢教会)
<各教会による活動例>
★福祉バザーをして活動資金を作っている。
★一人暮らし、話し相手のいない方への「お茶しましょう」の集まり。
★依存症の方が一週間位教会に宿泊するので、食事作りの手伝い。
★外国の人が工場等の雇い止めになり、生活に困っている人向けの資金の貸し付け。
★子供食堂が今は開けないので、お弁当を160食作って提供している。
★フィリピン、南米への物資を船便で送っている。
★ホームレス支援、船員さん向け毛糸の帽子作り。
★教会の草むしり、木の枝のせん定。
★福島野菜、水俣の夏ミカンの販売。
★マーマレードを作り、献金箱を置き資金作り。
★コロナにより高齢者が教会に来られなくなったので、ライブ配信をしたり、CDやカセットにおさめたりして、自宅に送っている。
★知的障害、車イスの方への送り迎え。
<中和田教会の活動>
★ホームレス支援のためのお米、衣類、靴、その他を毎月戸塚教会にお届けしています。
★横浜港に入港する外国船の船員さん用に毛糸の帽子を編んでいます。昨年は横浜港に72隻の船が入港し、1200ケの毛糸の帽子、日用雑貨、クリスマスカード等プレゼントをしました。
★毎週木曜日(19:00~)関内にて、ホームレスの方々におにぎり、みそ汁などを配っています。お手伝いができる方がいましたら、関口・今井までお声がけください。
募 集 し ま す ― 短歌の会 ―
この度、「短歌の会」を発足致したく、下記の要領で会員を募集します。
興味のある方は、どなたでもお気軽にご応募下さい。
・例 会: 月1度 第2月曜日 PM1:00~3:30
・場 所: 中和田教会 集会室(ホワイエ)
※第1回開催日は、教会改築完成後通知いたします。
ご希望の方は、2首程用意して、9月末日迄にご連絡ください。
用意できなくても結構です。皆さんで鑑賞し推敲していきます。
(連絡先) 磯田昭代、武田幸子
※ 「広報なかわだ」の完全版(pdf)は下からダウンロードできます。