広報なかわだ6月号をアップしました

以下は、「広報なかわだ」のWEB版が表示されています(詳細な月間予定表や議事録詳細などは含まれていません)。完全版(pdf)はこのページ下からアクセスできます。

父の日に因んで(六月十八日)

 五月の広報には、母の日に因んで書きましたが、六月はカトリック教会典礼では(イエスのみこころ)移動祭日として祝われます。一般に・・みこころ・・の月と呼ばれています。
父の日ができたのはアメリカが発祥と言われています。ヨーロッパ、アジア、南米等祝日は異なりますが、お父さんに感謝する心は世界中等しいと思います。 聖ヨゼフも聖家族の父として登場します。
 母の日は赤いカーネイション、父の日には白いバラのシンボルも一考に価します。

フランシスコ・ザベリオ 日野武満神父

~中和田の風~ 難民キャンプを経て日本に定住されて34年

~神様といつも一緒~

 今、世界ではロシア・ウクライナ戦争、自然現象からの大地震や森林火災での被害、日本では様々な理由での難民の問題がクローズアップされています。難民申請者の方の人権について検討されていますが、中和田教会の信徒で約48年前にカンボジアのポルポト政権の圧政を逃れタイ難民キャンプを経て1989年、日本に難民として定住され34年のタウタン・タニーさんにお話を伺いました。

▲ 10年前にも、<中和田の風>のインタビューに答えていただきましたが、あれからカンボジアの政情はどうですか。帰ってみたい気持ちはありますか?

➡ 動乱状態は収まっていて平和だが、治安は悪く犯罪が多い状態です。帰りたいけれど病院がないし老人ホームもない。病院がないし治すのにお金がかかる。タイやベトナムに行かなければならないので、帰れないです。

▲ 日本に来て難民として定住されていますが、難民であることで今でも困ることはありますか?

➡ 難民であることで困ることはないが、住んでいる集合住宅のことで困っています。異国籍の外国人が多く住んでいて、習慣や言語が違うので揉め事が絶えません。いじめもあります。
例えば、住宅の上の階の住人が夜中にリサイクル品の商売にする木工作業をする音がして眠れないので直接訴えたが、聞かないので住宅自治会や難民相談センターや警察まで訴えたが、小さい問題として取り合ってもらえず、我慢している状態です。最近は少し良くなってきましたが。

▲ タニーさんは今迄3回の危機的な場面をイエス・キリストが現れて救われた経験がおありですが、タニーさんにとって教会とはどういう場所ですか。教会に来るとどういう気持ちになりますか?

➡ 教会は神様に会うところです。今迄、夢に3回(難民キャンプに入る時、大病をした時、息子さんが事故にあった時)イエス・キリストが現れて助けられた。教会は神様に悩みを聞いてもらって安心を頂くところです。神様が一番ありがたいと思っています。

港南区の遺跡を訪ねて

「散歩の会」で、3月30日に関口さんのご案内により港南区の街を訪ねました。
下永谷駅の改札を出てすぐに『いざ鎌倉』の時、関東各地の武士が鎌倉に駆けつけることができるように作られた戦略道路がありました。馬と人がやっと並んで通れるようなその道は、昼間でも薄暗く木々の木立が私達の頭上に茂っていて往時が偲ばれました。
『関城』跡は、大きな野庭団地の中の公園にあり、その昔はうっそうと茂る森だったそうで、頼朝の重臣の城砦で鎌倉道を監視する役目だったそうです。
頼朝の妻政子が、弘明寺にお参りする時、馬を休ませ馬を洗ったと伝えられる馬洗い川など、お天気に恵まれ、ウグイスの鳴き声を聞き、満開の桜を見ながらの、とても楽しい散策でした。(楠田恵美子)

中和田教会献堂50周年 記念誌編集委員を募ります

 中和田教会は来年2月で献堂50周年を迎えます。それに伴い、記念式典や記念誌発行を予定しています。記念誌を発行するにあたり企画、編集の準備をそろそろ始めたいと思います。
長い歴史を経た中和田教会の記念のために一緒に記念誌の発行準備をして下さる方を募集します。定期的に編集会議を持ちますが、時々参加してくださるのも大歓迎です。
 今までの写真や資料をお持ちの方は、それを持ってきていただき、相談したいと思います。開催日は改めてお知らせします。参加できる方は、ご連絡ください。

(50周年記念誌編集委員会;連絡先: 今井 小野 武田)

お知らせします

 今年度は10月にバザーがありますので、今まで衣料品・雑貨等の販売を随時致しましたが、野菜以外は4月をもって終了しました。
 1月から4月までの売上金は合計 44,500円でした。建設資金に納入しましたのでご報告します。
 今までご協力ありがとうございました。(畑グループ)

短歌の会

「広報なかわだ」の完全版(pdf)は下からダウンロードできます。